尾形レギュラー奪取に勇気ある決断:網孝広
私事で恐縮だが、高校、大学とラグビー部だった。もちろん花園になど出たことはない。大学は関西大学Bリーグに所属していた。ラグビーだからケガは絶えなかった。法大にコテンパンにやられた試合ではふくらはぎを思い切り踏まれて筋肉が切れた。2週間寝たきり。どうにか走れるようになるまで1カ月かかった。会社に入ってからもクラブラグビーを続け、性懲りもなくじん帯損傷。足首にギプスをつけながら営業した。
私の昔話などどうでもよいのだが、野球選手にもケガはつきものだ。尾形は05年5月28日の西武戦で右ひざじん帯を断裂。実戦復帰目前だった06年3月にも再度メスを入れた。苦しいリハビリ、焦りを乗り越えてはい上がってきた。昨年8月24日の巨人戦ではサヨナラ弾を放った。お立ち台で大粒の涙を流し「ファンのみなさんのおかげで野球ができるようになった。感謝の気持ちでいっぱい」と語っていた姿が忘れられない。
その尾形は昨年1年間、特大サポーターで右ひざを固定していた。そのサポーターを1月中旬から外している。「あれをつけていると野球をしている気がしない」。全力疾走もままならなかった。05年には47試合で9盗塁を記録した俊足だが昨季の盗塁は0。医師、トレーナーと相談の上、外すことに決めた。
しかし心配なのである。プロ選手に対して失礼かもしれない。記者は大学選手権にもでたことがない単なる普通のラガーマン。しかし、サポーターを外す怖さは分かるつもりだ。衝撃をモロに受ける。動きを制限するということは、ケガをしないように無理な負荷を与えないことの裏返しだ。
尾形は昨季は外野手としてプレーした。昨秋から三塁に取り組んでいる。当然外野よりも足に負担はかかる。「(サポーターを)つけない怖さもある。でもつけないのが普通。外れた嬉しさもある」。練習中に「足は大丈夫ですか?」と尋ねると「今のところは大丈夫です。ありがとうございます」と笑顔で返してくれる。沖縄で短パン姿の尾形を見ると、メスの痕が痛々しい。古傷が痛む夜もあるだろう。それでもレギュラー奪取のために勇気ある決断を下した。「頑張れ! ヨシノリ」と思わずにはいられない。
[2008年02月11日]- 網孝広(あみ・たかひろ)
- 1972年、大阪府堺市生まれの35歳。入社後広告局に7年、編集局整理部(レイアウト部門)に3年半在籍。06年11月広島総局に赴任。34歳で初めて「新聞記者」になったオールドルーキー。Jリーグ、高校野球、高校サッカーなどの担当を経て07年9月よりカープ担当に。08年の予想順位はエールを込めて3位。まだまだ独身。
- 柏原誠(かしはら・まこと)
- 1977年、長野市生まれの29歳。アマチュアスポーツ全般、Jリーグ、オリックス、阪神担当を経て06年1月からカープ担当。好きなブラウン語録は「ユニホームの後ろ(個人名)ではなく胸のマーク(チーム名)のために戦え」。07年の予想順位は希望込みで中広巨神横ヤ。ちなみに昨年の予想は中神巨広ヤ横と惜しかった。幼少時からG党で原辰徳、松井秀喜のファンだったが熱はすっかり冷めた。家族は妻と2歳の長男。