壮絶の夜間練習に小窪、鈴木がヨレヨレ:柏原誠
沖縄キャンプで毎日、日本人野手18人に課されていた夜間練習は新鮮だった。6人ずつの3グループに分かれ、マシン打撃、素振り、ウエートトレをローテーションで行うのが基本形。ただ、そのローテを崩したのが若い鈴木だった。
あるときは、本来ならウエートトレの順番で「今日は楽だ」と喜んでいたのが、内田統括打撃コーチから声がかかってマシン打撃組にねじ込まれた。彼は常に同コーチの監視下でバットを振った。長打力を上げるため松井秀喜のように軸足に体重を残して回る打撃に改造中。少しでもフォームが乱れれば、すかさず同コーチの声が飛ぶ。
夜間最終日の11日は壮絶だった。ティー打撃を行った上村、小窪、鈴木は2秒に1回ほどのハイペースで200球以上を一気に振り切った。上村は力強く完走したが、2人はヨレヨレ。最後の球を打ったあとに内田コーチが「はい、休憩」と冗談を言った瞬間、ズッコける余力もなく、青白い顔で立ち尽くしたほどだ。小早川打撃コーチは鈴木を「産卵後のサケみたいな顔だ」と言ったが、笑ったのは報道陣だけだった。
久しぶりにカープによみがえった猛練習。200球を投げ込む大竹もそうだが、見ているこちらは故障が怖い。嶋や広瀬にがチクリとやられたように、ブラウン監督は練習段階での故障を極度に嫌う。しかし心技体のレベルアップには練習しかない。
その功罪はまだ分からないが、1つ記しておきたいのは猛練習を可能にしたのは「選手層の厚さ」だ。昨年までとは違いは明らか。故障をした選手は置いていかれるだけ。チーム内の競争、そしてペナントレースの激闘に耐えうるサケは誰なのだろう。
[2008年02月18日]- 網孝広(あみ・たかひろ)
- 1972年、大阪府堺市生まれの35歳。入社後広告局に7年、編集局整理部(レイアウト部門)に3年半在籍。06年11月広島総局に赴任。34歳で初めて「新聞記者」になったオールドルーキー。Jリーグ、高校野球、高校サッカーなどの担当を経て07年9月よりカープ担当に。08年の予想順位はエールを込めて3位。まだまだ独身。
- 柏原誠(かしはら・まこと)
- 1977年、長野市生まれの29歳。アマチュアスポーツ全般、Jリーグ、オリックス、阪神担当を経て06年1月からカープ担当。好きなブラウン語録は「ユニホームの後ろ(個人名)ではなく胸のマーク(チーム名)のために戦え」。07年の予想順位は希望込みで中広巨神横ヤ。ちなみに昨年の予想は中神巨広ヤ横と惜しかった。幼少時からG党で原辰徳、松井秀喜のファンだったが熱はすっかり冷めた。家族は妻と2歳の長男。